1月23日、私は60歳になりました。
世間では「還暦」なんてお祝いムードですが、本音を言えば、何もうれしくありません。「もう60か」という戸惑いと、胸の奥にぽっかり穴が開いたような、言葉にしにくいむなしさの中にいます。
私は学習塾を経営しています。教育の道に入って35年。
大手学習塾の社員だった頃も、独立してからも、いろんなことがありました。
阪神大震災で閉校の連絡のために家庭訪問をしたこと。
朝の6時に家を出て、夜中の12時に帰る生活が2ヶ月続き、「このままじゃヤバい」と震えたこと。
でも、そんな苦労話より、今も鮮明に覚えているのは、もっと情けない失敗の数々です。
幼児クラスの授業でニコニコと接した直後、そのままの笑顔で高校生の授業に入ったら、「先生、話し方が優しすぎて気持ち悪いんやけど」と一蹴されたり、完璧に作ったつもりの教材だったのに、一文字の誤字が見つかって、保護者からの電話の嵐で冷や汗をかいたり。
そんなカッコ悪い経験を何回も積み重ねてきて、ようやく分かったことがあります。
それは、「立派な先生でいよう」とすればするほど、しんどくなるということです。
気分転換に私がやっているのは、ものすごく地味なことです。これがまたいいんです。
自信をなくしたり、何も考えられなくなったりしたとき、「15分だけYouTubeを見てダラダラする」んです。
自分のことも、塾の経営のことも、この時間だけは考えないようにします。
ただの視聴者になって、誰かが旅する動画を眺めたり、動物の笑える動画を見たり。
「何にも生み出さない、ただの自分」に戻る時間を15分だけ自分にあげたい。
この15分がものすごく落ち着くんです。
私の活動名の「azurehill(アズールヒル)」は、誠実に(azure)、一歩ずつ丘(hill)を登る、という意味です。
でも、その「一歩」は、そんなに大きくなくていい。
時にはYouTubeを見て笑い転げるような、情けない一歩でもいい、と自分に言い聞かせています。
ある日、教え子だった子が「先生、ここで働きたい」と訪ねてきてくれました。
かつての教え子が先生になって、隣で子どもたちを支えてくれている。
10年前に叶ったこの夢は、今でも私の宝物です。
教え子とは、すべてを語らなくても、何か心が通じ合うような気がします。
そして、私にはもう一つ、夢があります。
それは、教え子が親になったとき、そのお子さんを私の塾へ連れてきてくれること。
「おじいちゃん先生」と呼ばれてもいい。
自分の教え子のそのまた子どもまで預かれる日が来たら、どんなに素敵なことか、なんて思っています。
もう60歳。
でも、これからもまだまだライティングスキルを磨き続けます。
ただ、今夜も15分だけ自分を甘やかして、明日もまた、生徒たちの前では笑顔でいます。いつも子どもたちから元気をもらっています。ありがとう。

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