和歌山で深呼吸。都会を離れて見つけた、おだやかな時間

執筆の足跡

大阪の都会で、車の走行音を聴きながら長年過ごしてきた私にとって、和歌山での暮らしは「驚き」の連続でした。

新しい挑戦を求めて移り住んだこの地で、最初に私を包み込んだのは、都会にはなかった深い静けさです。

田舎の朝は、窓の外から響く鳥たちのさえずりで幕を開けます。
都会では、車の騒音がアラームの代わりになるような毎日でした。

でも、ここでは自然の音に、ゆっくりと意識を引き上げられます。
室外機の熱風や排気ガスではなく、窓から入ってくる心地よい空気。

それだけで、「ああ、いい朝だ」と深く呼吸ができるんです。

そんな当たり前のことが、これほど快適に感じられるとは思いもしませんでした。

景色も一変しました。
車を走らせれば、鹿が道を横切ることがあります。
時には、タヌキといっしょに並走しているような気分になり、思わず笑ってしまいます。
屋根の上では、猿が背中を掻きながら日向ぼっこをしていることもあります。

まるで、生き物限定の動物園です。

都会で「効率」ばかりを求めていた自分が、ここでは少しだけ、動物たちと同じ時間軸で生きているような気がします。

もちろん、最初は戸惑いもありました。
引っ越して間もない頃、まだ自己紹介もしていないのに、近所の方が私の名前や仕事をすでに知っていました。

都会のマンションでは、隣に住む人の顔すら知らないこともあります。
そんな環境に慣れていた私には、その距離感に少し驚いたのも事実です。

でも、しばらく暮らしているうちに、それは干渉ではなく、外から来た私をそっと気にかけてくれる「見守り」なのだと感じるようになりました。

誰かに知られているということは、少し窮屈でもあります。
でも同時に、誰かに見守られているという安心感にもつながっているのかもしれません。

そんな静かな暮らしの中で考え事をしていると、都会の雑音にかき消されていた自分の本音が、驚くほどクリアに聞こえてくることがあります。

不便さがないと言えば、嘘になります。
けれど、車のある生活も、慣れてしまえば快適です。
渋滞のない道を鼻歌まじりに走り、新鮮な野菜や果物に感動する。

そんな「ささやかな贅沢に満ちた暮らし」が、今の私には何よりの栄養になっています。

もうそんなに若くない自分ですが、「経験こそが人生の宝」だと言い聞かせながら、新しい一歩を踏み出しました。

和歌山の山間に流れるゆったりとした時間は、焦る私の背中を、「そんなに慌てなくてもいいんやで」 と、優しく叩いてくれているような気がしています。

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