正しいことを書いているのに、なぜか心に残らない文章がある

思考の披露宴

文章を読んでいて、「まちがってはいないのに、なぜか残らない」と感じることがあります。
情報は正しい。構成も整っている。言っていることも理解できる。

それでも、読み終えたあとに何も残らない文章があります。

その違いは、どこにあるのでしょうか。
ライターとして文章を書くようになってから、以前より強くそのことを考えるようになりました。

正しさだけでは、人の心は動かない

正しい情報を書くことは、文章を書く上で、まず大切なことだと思います。

事実に誤りがなく、論理が通っていること。それは書き手として最低限守るべきものです。
ただ、それだけでは読者の心に残らないことがあります。

読者は「情報」だけを読んでいるのではありません。
その文章が自分に向けられているか、自分の状況をわかってくれているか。
そんなことを、言葉の奥から感じ取っています。

正論だけの文章は、内容が正しくても、どこか少し遠くに感じられます。
なぜか距離を感じるんです。
「そうですね」とうなずいて、そのまま画面を閉じられてしまう文章になります。

正しさは必要です。でも、正しさだけで十分ではありません。

塾の現場でも、同じことを感じてきた

塾で生徒に教えているとき、正しい解き方をどれだけ丁寧に説明しても、伝わらないことがあります。
保護者との面談でも同じで、正しいデータや進路情報をそのまま伝えるだけでは、不安が消えないことがあります。

必要なのは、正しい情報をそのまま渡すことだけではありませんでした。

相手が今どんな気持ちでいるのか。どこでつまずいているのか。何を怖がっているのか。
そこを見なければ、同じ言葉でも受け取ってもらえません。

子どもたちの理解度を試したくて、意図的にまちがえたことを伝えて、それに気づくかということもしたことがあります。

同じ内容でも、伝える順番、選ぶ言葉、声の温度で、受け取られ方は全く変わります。

正しいことを言うより先に、相手が受け取れる状態かどうかを見る。
それを現場で何度も学んできました。

心に残る文章には、書き手のまなざしがある

心に残る文章は、派手な表現だけでできているわけではありません。
難しい言葉を使っているから心に残るわけでもありません。

むしろ、読者の立場に立って書かれた文章は、静かに残ります。

読んでいて、「この人は、こちら側から見て書いてくれている」と感じられる文章。
読者の状況をわかったうえで言葉を選んでいるとわかる文章。
書き手の経験や実感が、押しつけではなく、自然ににじんでいる文章。

上手い文章より、「見てくれている」と感じる文章のほうが心に残るのだと思います。

きれいに整いすぎると、「体温」が消えることもある

もちろん、文章を読みやすく整えることは大切です。

ただ、整えることばかりを意識しすぎると、どこか他人事のような文章になることがあります。
言葉はきれいでも、書き手の迷いや実感が見えないと、読者の中に残りにくくなります。

完璧な文章より、「この人は本当にそう感じたんだな」と思える文章のほうが、届くことがあります。

体験や違和感、少しの迷い。
そういうものが文章の中に入ってくると、そこに書き手の体温が生まれます。

「整える」ことと、「温度を消す」ことは違うのだと思います。

読者は、正解よりも自分に関係のある言葉を探している

読者は、ただ正解を知りたいだけではありません。
自分の不安や疑問に近い言葉を探しています。

だから、書くときには読者の状況を想像することが大切になります。
この人は何に困っているのか。どんな言葉なら、少し前に進めるのか。
読み終わったあと、どんな気持ちで画面を閉じるのか。

そこを考えていない文章は、正しくても、そのまま通り過ぎられてしまいます。

心に残る文章は、読者の中にある「まだ言葉になっていない気持ち」を、少しだけ拾っているのだと思います。

正しさの中に「温度」を入れた文章が書きたい

もちろん、正確さは大切です。事実を間違えないこと、誤解を生まないこと。
それは書き手として絶対に守りたいところです。

そのうえで、読者が読み終えたあとに少し安心できる文章を書きたいと思っています。

少し考えが整理される文章。少しだけ行動してみようと思える文章。
「読んでよかった」と思ってもらえる文章。

そういうものをめざしたいです。

正確さと温度、その両方を持った文章を書きたい。それが今の私の目標です。

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