「みんなに伝えたい」と思うほど、言葉は誰にも届かなくなる

思考の披露宴

文章を書いていると、できるだけ多くの人に伝えたいと思うことがあります。
せっかく書くなら、たくさんの人に読んでもらいたい。
できれば、いろいろな立場の人に届いてほしい。
いつもそう考えて書いてきました。

ただ、最近は少し違うかなとも思うようになりました。
「みんなに伝えたい」と思えば思うほど、言葉が少しずつ丸くなっていく。
ぼやけていくんです。

誰にも嫌われないように。どこからも反論されないように。
できるだけ多くの人に当てはまるように。

そうして整えた言葉は、たしかに間違ってはいないのかもしれません。
でも、なぜか読者の心に届いた感覚がないんです。読んでもらっただけなんです。

「みんな」は、意外とだれにも届かないのかもしれない

「みんなに届けたい」と思って書くと、言葉は広くなります。
ただ、広くしようとするほど、誰に向けて書いているのかがぼんやりしてしまうことがあります。

読者の皆さま。多くの方。悩んでいる人。困っている人。
もちろん、どれもまちがいではありません。

ただ、その言葉の向こうに具体的な顔が浮かんでいないと、文章はどこか説明のようになってしまいます。
正しい。わかりやすい。でも、少し遠い。
そんな文章になってしまうことがあるのだと思います。

一人を思い浮かべると、言葉に温度が戻る

反対に、この人に伝えたいというたった一人を思い浮かべると、言葉は変わります。
今、迷っている人。うまく言葉にできずにいる人。
誰かにわかってほしいのに、うまく伝えられずにいる人。
あるいは、かつての自分かもしれません。

その一人を思い浮かべた瞬間、文章は急に具体的になります。

どんな言い方なら届くのか。
どこまで説明すれば安心できるのか。
どんな言葉なら、少し肩の力が抜けるのか。
そう考えるようになります。

私は長く、学習塾の現場に関わって、子どもたちを見てきました。

全体に向けて話しているように見えても、実際には「今、つまずいているあの子」に届く言葉を探していたことが何度もあります。

不思議なもので、一人の子に向けて伝えた言葉が、別の子に届いていることもありました。

「これはあの子に伝えたい」と思って話したことを、横で聞いていた別の子が受け取っている。
兄弟姉妹でも似たようなことがあります。お兄ちゃんに注意したことを、そばで見ていた弟が先に直している。

子どもたちは、思っている以上によく見ています。よく聞いています。

だからこそ、言葉は最初から全員に向けて広げすぎなくてもいいのかもしれません。
たった一人に本気で届けようとした言葉が、結果として別の誰かにも届いていくことがあるのだと思います。

広く届けるために、まず深く届けたい

もちろん、多くの人に読んでもらえる文章を書きたい気持ちはあります。
でも、多くの人に届けようとする前に、まずは一人の心にきちんと届けることが大切です。

広く届けることと、深く届けることは、別のものではないはずです。
たった一人に深く届く言葉だからこそ、結果として別の誰かにも届いていく。
そんな文章があるのではないかと思います。

「みんなに伝えたい」という気持ちを、否定したいわけではありません。
ただ、その「みんな」の中に、ちゃんと一人の顔が浮かんでいるか。
その人の不安や迷いに、こちらの言葉が本当に届こうとしているか。
そこを忘れないでいたいのです。

うまく書くことよりも、まず届けること。
広く読まれることよりも、まず深く届けること。

私はこれからも、そんな言葉を探しながら書いていきたいと思っています。

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