遠回りしてきた時間を、なかったことにしない文章を書きたい

思考の披露宴

ライターになって、まもなく1年です。めちゃくちゃ早い1年でした。
塾の先生として35年。ライターとして1年。
並べてみると、不思議な組み合わせに見えるかもしれません。

頭も体も、使い続けていないとすぐに鈍ってしまう。そんなことを実感しながら、今日もパソコンに向かっています。この歩みは、傍から見れば遠回りに映るのかもしれません。

でも私は、その遠回りを後悔していません。

むしろ、遠回りしてきた時間があったからこそ、今こうして文章を書く機会、継続案件をいただいたご縁があるのだと思っています。

「なぜ今さら」と思われているかもしれない

60歳でライターを始めたとき、正直、自分の中にも「もっと早く始めていれば」という思いがありました。

若いころから書く仕事をしていれば、もっと早く実績を積めたのかもしれません。
もっと早く、文章の世界に出会えていたのかもしれません。

そう考えたこともあります。
でも今は、少し違う見方をしています。

もし早く始めていたら、今の自分が持っているものは、きっと持てていませんでした。

子どもたちと向き合ってきた時間。
保護者と話してきた時間。
伝わらない言葉に悩んできた時間。
どうすれば届くのかを考え続けてきた時間。

それらは、遠回りに見えて、今の私の文章を支えているものです。
早く始めた自分には、今の私が持っている言葉はなかったと思います。

遠回りの中にあったもの

35年間、子どもたちと向き合ってきました。

わからない顔。わかった顔。悔しそうな顔。少し安心した顔。

教室には、毎日いろいろな表情がありました。
同じ説明をしても、すっと理解できる子もいれば、首をかしげる子もいます。
結論から伝えた方が届く子もいれば、順番にほどいていかないと届かない子もいます。

そのたびに、私は言葉を選んできました。

どう言えば伝わるのか。どこまで説明すればいいのか。今、この子に必要な言葉は何なのか。

それを考えることは、塾の仕事そのものでした。

ただ、ライターになるために塾をしてきたわけではありません。

そうした時間を振り返るほど、教室の中だけで使ってきた言葉を、もう少し広い場所にも届けてみたいと思うようになりました。

塾の中で積み重ねてきた伝え方や、相手を見る姿勢。
それをWebの文章にも生かしたい。
そう思ったことが、私がライターとして書き始めた大きな理由のひとつです。

なかったことにしない、とはどういうことか

遠回りをなかったことにするのは、簡単です。

「本当はもっと早く始めたかった」
「違う道を選んでいればよかった」
「今さら始めても遅いかもしれない」

そう考えれば、いくらでも後ろ向きになれます。

でも私は、そうしたくはないんです。そこだけは、少し頑固でいたいと思っています。
35年があるから、今の私がいます。塾の現場があったから、今の文章があります。

子どもたちや保護者と向き合ってきた時間があるから、言葉をただ並べるだけではなく、相手にどう届くかを考えるようになりました。

遠回りを隠すのではなく、遠回りを引き受けて書く。
それが、私にしかできない文章につながるのではないかと思っています。
遠回りしてきた時間は、すべて自分の経験値になっています。

Wantedlyに記事を書き始めて、今回で20本目になります。
うまく書けたと思うものもあります。
読み返すと、もう少し違う書き方があったかもしれないと思うものもあります。

でも、どの記事にも、そのときの自分がいます。

塾の先生として考えてきたこと。ライターとして悩んだこと。
年齢を重ねてから新しいことを始める不安。それでも、まだ伸びていきたいという気持ち。一本一本に、35年分の時間が少しずつ入っています。

遠回りに見えた日々も、迷った時間も、うまく言葉にならなかった経験も、全部が今の自分を作っている経験値です。

だから私は、その時間をなかったことにしたくありません。
遠回りしてきた時間を、文章の中に刻んでいきたい。

きれいに整っただけの文章ではなく、誰かの不安や迷いに少し触れられる文章を書きたい。
教室の中で選び続けてきた言葉を、今度はWebの世界でも、必要としている人に届けていきたい。

20本目の記事を書きながら、そんなことを考えています。
遠回りしてきた時間を、なかったことにしない文章を。

これからも、そういう文章を書いていきたいと思っています。

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