あえて書かなかったことが、実はその文章を支えていた

思考の披露宴

ライターを始めてから、「何を書くか」より「何を書かないか」で悩む時間の方が長くなりました。
書き終えた文章を見直すたびに、「これは本当に必要なのか」と悩んでいます。
この取捨選択がなかなか難しいですね。

書きたいことは、いつも多すぎる

自分が思ったこと、調べたことも、自分が得意なことも、全部伝えたくなります。
「あれも入れたい、これも入れたい」と詰め込んでいくと、文章はどんどん重くなります。
読み返すと、いったい、何が言いたいのかよくわからない。

情報はたくさんあるのに、不思議と何も残らない文章になっています。
そういう経験を、何度もしました。

多すぎる材料は、かえって文章の根幹の邪魔になることがあります。

「削る」のは、「捨てる」ことじゃない

悩んだ末に、書かないことを選んだ言葉があります。
でもそれは、消えたわけではありません。

書かなかった言葉が土台になって、残した一文がしっかり立っている。
そう気づいたのは、うまくいった文章を後から読み返したときでした。

「ここ、よく書けたな」と思う箇所には、必ずその手前で何かを削った判断がありました。
削ることは、諦めることではなく、一番大事なものを際立たせるための作業だったんです。

「これだけ覚えて」と言い続けてきた

思い返すと、教育現場でも同じことをしていました。

授業をしていると、教えたいことが山ほど出てきます。
でも全部伝えようとした授業ほど、生徒の顔が曇っていきました。
自分としては達成感があるのに、何かがちがう。子どもたちに輝きがないんです。

それは子どもたちにとってプラスではありませんでした。
情報が多すぎると、子どもたちは何をつかめばいいかわからなくなります。

だから私はある時期から、授業で「今日はこれだけ覚えて」と絞るようにしました。
一番大事な項目をしつこいくらい教えます。そうすると、生徒の表情が変わるんです。
「わかった」という顔に。

絞ることで、初めて届く言葉があるんですね。

あえて書かなかったことが、文章を支えていた

ライターとして少しずつ経験を積む中で、「うまく書けた」と感じる文章には共通点があることに気づきました。

それは、どこかで書かない判断を下していることです。

伝えたかったけれど外した言葉、入れようとしたけれど削ったエピソード。
そういうものが、見えないところで文章を支えていました。

自分は書きたいけれども、読者には興味がないこともありますよね。
でも逆に、あえて書かなかったことが、なぜか読者に伝わっていることもあります。
文章って、不思議です。だから書いていて楽しいんですけどね。

あえて書かなかったことが、残った言葉に重みを与えていたんだと思っています。


書く仕事は、選ぶ仕事であり、同時に手放す仕事でもある。
そのことを、これからも忘れずにいたいと思っています。

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